קוֹף נוּן גִּימֶל

دمنهور - 𝑆ℎ𝑖𝑧𝑢𝑜𝑘𝑎 | 𝐻𝑒𝑟𝑚𝑒𝑠 𝑇𝑟𝑖𝑠𝑚𝑒𝑔𝑖𝑠𝑡𝑢𝑠(933311) | Ramakrishna | 𝐑𝐀 | 1991.03/19 | JAPON ♎︎

「生命の樹におけるマルクト(地球)の復古について」

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ティファレトは5・17で獅子座(ダイモーン)であるが、イエソドは13・9で牡羊座・射手座(ポイマンドレース)である。

1・5・9の火の三角形を加工したのが0・1・5の経済である。

ギリシャ以後のグローバリズムの一つの指標として男尊女卑がある。それはエジプトの半人半獣がギリシャ彫刻の黄金比にすげ替えられたという事である。つまり女性を物扱いする態度がそのまま円(12・9)を否定する経済の在り方なのである。

十干十二支に置き換えると
ティファレト(5戊辰・17庚辰)
イエソド(13丙子・9壬申)
マルクト(25戊子・57庚申)である。

戊子は座下干合するので丙子に変わり、マルクトからイエソドへ単独にエスカレート出来る。

イエソド裏の壬申は丁巳と干合する。そして甲申に変わってケテル(1甲子・21甲申)へエスカレートする。庚辰と庚申が合化しない点に着目したい。ティファレトは生命の樹の循環に入っていない。しかしティファレトへの接触はマルクト裏から行う事が出来る。なぜなら生命の樹の循環の中でティファレトを除いて唯一マルクト裏だけが固定されているからだ。

この庚辰と庚申は獅子座・射手座の対比でありダイモーンとポイマンドレースの関係である。

(ちなみに57庚申は5周目の射手座であり、ポイマンドレースならびに猿田彦・ヘルメス・アヌビス・稲荷の事である)

総括するとマルクト(地球)表である戊子の座下干合でイエソド表の丙子に上がる。そしてイエソド裏に行き壬申に丁巳をぶつけてケテル裏である甲申に上がる。そしケテル表に行き甲子に己丑をぶつけてマルクト表である戊子に帰る。

(それはイエソド裏とケテル表に終着点があるという事なのだが)

この循環が成立する事がつまりは0・1・5の経済が1・5・9の火の三角形になるという事を意味するように思われる。

そのためにはイエソド裏からケテル裏に上がるための丁巳の要素とケテル表からマルクト表に下りるための己丑の要素について考えなければならない。

丁巳は54番で5周目の乙女座。己丑は26番で3周目の牡牛座。つまり地の三角形を示唆しているという事なのだが、もう一度ティファレトについて着目する。

ティファレト裏とマルクト裏は庚の合化しない性質からダイモーンとポイマンドレースの関係が伺えた。ではティファレト表とは何だろうか。勿論、生命の樹の循環の中には入っていない。しかしティファレト表は5戊辰であるので合化する事が出来る。つまり戊辰に合化する甲辰の存在が浮かび上がってくる。

甲辰が戊辰に合化するのには己酉をぶつける必要がある。ティファレトは庚辰で体言止めするような形で戊辰だけが独自に循環している。それが甲辰に己酉をぶつけて戊辰になるという事である。まとめると54丁巳、26己丑、46己酉が生命の樹の存在性において必要な地の三角形である。

46己酉は4周目の山羊座である。

(余談を話すと甲辰は2024年で別地球移動の年である)

追記:ティファレトは生命の樹の循環に入っておらず庚辰で体言止めされる形で戊辰だけが独自に循環していると述べた。しかしマルクトも庚申で体言止めされている。だがティファレトと違って戊子は生命の樹を循環している。つまり生命の樹とは"神の光が届かないマルクト"というような言い方ではなくむしろ"生命の樹とはマルクトから生じている"という風に言える。難しいのは戊子の座下干合の性質によってイエソドが起点のように見える事とケテルがマルクトに下りるために己丑を必要とする事である。だからケテルが頂点に見える。イエソドもケテルに上がるのに丁巳を必要とするので生命の樹においてはマルクトからイエソドの階層だけが唯一、循環していると言えるのではないか。